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SEAVIEWCARS PAGESCARS DAYS|| ←  → Update :Jun.06.2010
Cars Days 2010.05

05/01 SAT JK Cafe

11時ごろに病院へ風邪の薬をもらいに行く。 一休みして兄の入院先へ行く。


JK Cafe (1)

JK Cafe (2)

R170 枚方大橋

21:30頃に高槻のJK Cafeへ高槻ジャズストリートのパンフレットをもらいに行った。 カウンター席だと珈琲が¥300円。

05/02 SUN 新緑の箕面

9時ごろに箕面方面へちょっと出かける。 毎年の事だが中国吹田ICから西行きは大渋滞で17km / 100分の表示。 箕面に上がると楓の新緑がまぶしい。


鳥飼大橋(新旧)

中国自動車道(右)は大渋滞

箕面 (1)

箕面 (2)

箕面 (3)

どこかの狭い道

勝尾寺の方から適当に走って妙見山の駐車場まで上がり、箕面を通って新御堂から中環へ降りる。


妙見山

箕面 (4)

京都方面は渋滞中

中環を東へ走ると京都方面の渋滞表示。 11時ごろだが「久御山JCT−瀬田東JCT 渋滞20km」と「茨城−瀬田東 渋滞35km」の文字表示もあった。 第二京阪ができたので近畿自動車道の方に京滋バイパスの情報がでるようになっていた。

05/03 MON 高槻ジャズストリート (1)

高槻ジャズストリートへ。 今年は兄が入院中のため、あまり行けなかった。 

05/04 TUE 高槻ジャズストリート (2)

(同上)

05/05 WED to Tokyo

兄の入院先へ叔父Mがお見舞いに来ているので自分も母と行く。 叔父から「知人の息子さんが社長をやっている会社があるので紹介してやろうか?」というありがたいお話をいただいた。
会社のHPを見ようと社名で検索してみたら2chのスレッドと、まとめwikiがあった。 話半分に割り引いても入ったら死ぬ会社のようだ。 …というわけで夜行バスで東京へ。

05/09 SUN 寝たきり浪人

昨日今日と、ほとんど寝ていた。  久しぶりに写真の整理とメールなど。

05/10 MON 手術の日

母の心臓手術の日。 翌日に退院できるというのだから、世の中進歩したものだ。

05/14 FRI to Kyoto

東京発の夜行バスで京都へ。

05/15 SAT to Kyoto

6:25頃に京都に到着。 今回は初めて市バスに乗ってみた。朝7時前だというのに観光客がそこそこ乗っている。 祇園で降りたら117クーペが走って来た。 八坂神社の境内をうろうろする。


朝の京都駅

京都タワー

いすゞ117クーペ

八坂神社 (1)

八坂神社 (2)

八坂神社 (3)

八坂神社から四条河原町の交差点へと歩く。 阪急百貨店が8月22日に閉店するので記念に写真を撮る。 向かいの高島屋には、大学生の頃にショーケースのリース業者のバイトで催物会場の搬入/撤去作業で何度か行ったけど、阪急に行ったことは一度もなかった。


四条大橋から鴨川を望む

東華菜館

阪急百貨店と高島屋百貨店

四条河原町から朝の新京極のあたりを歩き、【スマート珈琲店】でホットケーキを朝食にして、三条から高瀬川沿いの木屋町通を北へ歩く。 ちょうど【島津創業記念資料館】の開館時間だったので寄っていく。 木屋町二条にあるこの建物は「ノーベル賞の田中さん」でも有名な島津製作所の創業の地で、登録有形文化財の看板も付いている。 


錦天満宮

スマートのホットケーキ

島津創業記念資料館 (1)

場違いに思える女性のマネキンがあるのは、国産マネキンの第一号は島津製作所だったから。 島津は人体模型の製作技術を応用して大正14年(1925)に国産化を果たしたが第2次世界大戦中に事業の休止を余儀なくされた。 そして戦後は京都に「七彩」,「吉忠マネキン」,「ヤマトマネキン」が創立されることとなった・・・といった事が説明に書かれていた。

バイトで高島屋や京都ホテルの催物会場の搬入/撤去作業でよく行ったけど、現場では「吉忠マネキン」と一緒になる事が多かったのを思い出した。


島津創業記念資料館 (2)

島津創業記念資料館 (3)

鴨川の河原にて

創業記念資料館を出て三条京阪駅へと歩く。 鴨川の河原ではウエディングドレスの花嫁さんを撮影していた。 余談だが、この日の夕方に鴨川で対岸に座っている女性のスカート内を撮影していた会社員の男が現行犯逮捕された。 ウエディングドレスの撮影とは対照的な光景だ。

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電車で帰宅。 母の心臓の手術は成功ではあるが、2回目の手術が必要とのこと。

21時半ごろになって箕面方面へ出かける。 時刻は遅いので茨木からモノレールに沿って北上し、府道1号線のあたりを走って帰宅。 

 

 

05/25 TUE VWがイタルデザインを買収

フォルクスワーゲンがイタルデザイン・ジウジアーロ社の株式の90.1%を取得する、というニュース。

http://response.jp/article/2010/05/25/140835.html

http://www.italdesign.it/

久しぶりにイタルデザインのウェブサイトを見に行ったら COMING SOON the new website なんて書いてあり、右下の Previous site から、従来のサイトが見れた。

イタルデザインはデザイナーのジウジアーロが1968年に設立した会社。 近年のVWとはあまり縁がないようだが、初代ゴルフやシロッコ、アウディ80といった重要なモデルがある。 フィアット初代パンダ,いすゞ2代目ジェミニと初代ピアッツァ,セアト初代イビザ,ロータス・エスプリ,デロリアンDMC12といった有名どころを並べてみると、なんとなく共通点が感じられる。

別に倒産でも追悼でもないので書くのはそこそこにするが、果たして今まで同様、色々なメーカーやカーデザイン以外の仕事が続けられるのか、それともVWグループだけに制限されてしまうのか否か?! 

05/27 THU シーマとプレジデントでつきぬけろ!

日産シーマとプレジデントが8月で生産中止というニュース。 「バブルの象徴 シーマ終了」などと取り上げられていた。 衝突時の安全基準を満たさなくなることから生産終了となった。 ニュースによると2009年度の販売台数はシーマが294台,プレジデントが63台。

「衝突時の安全基準」というのは、どうやら保安基準第18条第5項:前面が歩行者と衝突した場合の頭部保護のようで、平成22年8月31日までに製作された自動車は適用されないといった事が書かれてあった。 シーマとプレジデントの販売台数からすると、改良して対応させるためのコストが割に合わないのだろう。

プレジデント(900万円台)は月あたり5台程度で、ライバルのセンチュリー(1100万円台)の半分以下ぐらいか。 1988年に搭乗したシーマの初代モデルは『シーマ現象』として一般社会にその名を轟かせる大ヒットだっただけに、2009年の月21台とは寂しい限りだ。
ちなみに現行シーマは4代目で2001年01月のフルチェンジで登場。 なだらかに低めたノーズやユニークなヘッドライトユニットの印象が悪かったのか、約半年前にフルチェンジしたセルシオのライバルにはなれなかったようだ。 さらに2004年10月のフーガの登場で一段と立場が弱くなっていた。

現行プレジデントは3代目で2003年10月の登場で、4代目シーマに大きなグリルを建てつけた、無理やり感にあふれたデザインだった。 そういえば1990年02月にフルチェンジした2代目は薄いノーズでグリルレスだったインフィニティQ45に大きなグリルを建てつけた(以下同文)。 そういう意味では現行プレジデントの低迷は約束されていたも同然と言える。
なお、初代の登場は1965年で、大きく顔を変えたマイチェンを含んで約24年の長寿だった。 ついでに初代センチュリーは約29年、三菱“シーラカンス”初代デボネアは約22年だった。

 

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