欧州車 ―
特にドイツのBMWやベンツはスポーティー車や高級車というイメージが強い。 それに対して日本のメーカーは1つのメーカーで色々なクルマを作っているので、外車党には日本のメーカーはクルマに対するポリシーが全くないかのように言われてイジメのネタに
される事も少なくない。 なぜ日本のメーカーは色々なクルマを作る「フルライン政策」を敷くようになったのだろうか。
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「フルライン・ポリシー」は単一車種・大量生産のT型フォードを打ち破るための戦術として1921年(←1923年以降かもしれない)にGMの経営会議の中で生まれたものらしい。
フォードT型は大ヒットしたが、フォードはT型しか持っていなかった。 GMはT型に真っ向から対抗するのを避け、T型よりも上級車種に買い換えたいと思っている顧客層の要求に応えようと考え、シボレー,オールズモビル,キャディラックなど全てのレンジを網羅する車種を用意した(一方のフォードの上級車種が登場したのは1939年のマーキュリー)。 そしてGMのシボレーはフォードに圧勝した。
ドイツにオペル(GM系)とフォードが進出した当時、民族資本のフォルクスワーゲンとベンツは1200ccと1700ccの一車種生産主義をとっていたおかげで、需要が伸び盛りであった1500ccクラスを外資に明け渡すことになった。
そして、これを足がかりにあらゆるクラスに侵攻を許す事となり、ワーゲンは1200〜1600ccの,ベンツは2000cc以上のクラスでのみ生き残る結果となってしまった。 つまり、彼らはフルラインを作れなくなってしまったのだ。
日本の場合、戦後の自動車産業は厳しい輸入制限と高関税措置に守られていたが、昭和40年代(1965〜)に入る頃には「自由化」により外国メーカーの参入が避けられない状況になっていた。
日本の国家予算が3兆円程度だった頃に売上高が3兆円のフォードや5兆3千億円のGMが参入してくるのは国家レベルでも危機的な状況であり、通産省はトヨタ・日産の2大メーカーを中核とした二系列化構想を打ち出した。
このような状況において、トヨタや日産のフルライン体制には単にライバルに勝つのみならず、『外資に、日本侵攻の突破口を与えない』という意味もあった(※当時のトヨタ自販の社長は「アメリカ資本に対抗するには、アメリカと同じ戦略をとる以外にない」と語っていたという)。 つまり、日本のメーカーのフルラインはアメリカに倣ったものであると共に、アメリカから日本の経済を守るという重大な意味も持っていた。
その結果、(単に「フルライン」云々だけではないとは思うが)日本の自動車産業はアメリカに侵攻される事はなかった。 一方、フルラインの元祖たるアメリカはといえば、手薄あるいは皆無といえる小型車クラスで日本車に侵攻され、やがては国家レベルで日本に対して「
アメリカのクルマを買え!」と文句を言ってくるまでになってしまったのは皮肉な結果である。
〔参考:アメリカ車の100年
1893-1993〕
〔参考:モーターマガジン 1970年5月号 ほか〕
補足:
上記の文章を最初に書いた頃から時は流れ、今や1999年や2000年。 ベンツはAクラスで小型車部門に進出した上にクライスラーと合併し、BMWはローバーを買収してミニを手に入れ
たりトヨタ
ハリアー風のオフロード車を発売し、VWは高級サルーンや高級スポーツカーに進出すべく幾つかのブランドを手中に収めた。 日本のメーカーもビックリの拡大政策である。
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